15年振りに『ふたりはプリキュア』を観た感想

今年は『プリキュア』シリーズ15周年のアニバーサリーイヤーということで、初代プリキュアであるキュアブラックキュアホワイトも『HUGっと!プリキュア』本編にゲスト出演したり、10月に公開された映画ではタイトルに『ふたりはプリキュア』が冠されたりと色々なところでフィーチャーされました。私個人としては『ふたりはプリキュア』が放送されていた当時、妹と一緒に観ていて、そのまま『ハートキャッチプリキュア!』くらいまではまあまあ熱心に観ていました。その後しばらく離れていたのですが、最近また『プリキュア』を追いはじめたので、「この機会に復習するか」という感じでリアルタイムで観ていた以来15年振りに『ふたりはプリキュア』を観ました。というわけで、放送から15年経った現在、『ふたりはプリキュア』を観た感想を書いていきたいと思います。

 

ふたりはプリキュア』における「ふたり」

やはり初代の特徴としては2人で1年間戦い抜いたことが挙げられる。多人数編成、あるいは追加戦士の登場が多くなった現在観るとかえってこの点が新鮮に感じられる。プリキュアにならなければただのクラスメイトとして終わっていたであろう、全くタイプの違うなぎさとほのかが親友に至るまでの描き方もとても丁寧。当初はお互いを名字で呼び合う状態、特になぎさは真面目で上品な優等生タイプのほのかに対して距離を感じている中、かの有名な8話での喧嘩を通してお互いの本心を伝え、下の名前で呼び合い、友達と呼べる関係になるという流れが自然に描かれていた。そんな中、2人の物語として1つのクライマックスを迎えるのが囚われたホワイトをブラックが救出しに行く42話である。力の入った戦闘シーンも相まって「大切な人を大事に思う自分の気持ちを大事にする」という思いのもと戦うブラックの姿、ホワイト救出後の共闘が劇的な回である。しかし、この42話が劇的な回として成立するにはそれまでの日常がなにより不可欠だ。先生の結婚式に行ったり、ロミオとジュリエットを演じたりと、積み上げてきた日常があるからこそ、2人の関係に説得力が生まれ、2人が危機を乗りこえる姿が感動的に映る。

「日常を守る」というテーマ

私は「日常を守る」というのが『プリキュア』シリーズに共通するテーマとしてあり、日常を積み重ねていくことが『プリキュア』の最大の魅力だと考えている。その「日常を守る」ことが『ふたりはプリキュア』にはよく表れており、「普通の女の子でありたい」というようなセリフが繰り返し登場する。また、今年10月に公開された『オールスターズメモリーズ』でも「プリキュアって言ったって普通の中学生の女の子だよ」というなぎさのセリフがある。みんなの日常を脅かす敵に対して、それを守るのがプリキュアなのであり、あくまで日常が前提として存在している。1作目だけあって、そんなシリーズのテーマがよく表れている。やはり『プリキュア』には日常が何より大切だ。

改めて観てみると、前述の「日常を守る」というテーマや、キリヤという敵から味方側になるいわゆる「光落ち」キャラの存在、ガチガチの肉弾戦、プリキュア同士の絆と『プリキュア』シリーズの特徴がわかりやすく描かれている。『プリキュア』に限らずシリーズ1作目を過剰に持ち上げる「初代至上主義」的なものは好きではないのだが、やはり長く続くシリーズの最初の作品というだけあって偉大な作品だった。時間の経過とともに作中のみならず作品外でも「伝説の戦士」になった、そんな気がする。